葉 隠
武
士たるものは、武道を心掛くべきこと、珍らしからずといへども、皆、人、油斷と見えたり。其の仔細は、武道の大意は、何と御心得候か、と問ひかけられたる
とき、言下に答へ得る人稀なり。そは平素、胸におちつきなき故なり。さては、武道不心がけのこと、知られ申し候。油斷千萬のことなり。
武士道と云ふことは、即ち死ぬことと見付けたり。凡そ二ツ一ツの場合に、早く死ぬかたに片付くばかりなり。別に仔細なし。胸すわりて進むなり。若し圖にあたらぬとき、犬死などと云ふは、上方風の打上りたる武道なるべし。二ツ一ツの
場合に、圖にあたることのわかることは、到底出來ざることなり。我れ人共に、等しく生きる方が、萬々望むかたなれば、其の好むかたに理がつくべし。若し圖
にはづれて生きたらば、腰ぬけなりとて、世の笑ひの種となるなり。此のさかひ、まことに危し。圖にはづれて死にたらば、犬死氣違ひとよばるれども、腰けに
くらぶれば、耻辱にはならず。是れが武道に於てまづ丈夫なり。毎朝、毎夕、改めては死ぬ死ぬと、常住死身に成つてゐるときは、武道に自由を得、一生落度な
く、家職を仕果すべきなり。
[出典]
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/758897
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