二十四五
このころ、一期の芸能のさだまる初めなり。さるほどに、稽古のさかひなり。声もすでになほり、体もさだまる
時分なり。されば、この道に二つの果報あり。声と身形なり。これ二つは、この時分に定まるなり。歳盛りに向か
ふ芸能の生ずるところなり。さるほどに、よそめにも、すは上手いで来たりとて、人も目に立つるなり。もと名人
などなれども、当座の花にめづらしくして、立会勝負にも、一旦勝つときは、人も思ひあげ、主も上手と思ひ初む
るなり。これ、かへすがへす主のため仇なり。これも真の花にはあらず。年の盛りと、みる人の、一旦の心の珍し
き花なり。真の目利きは見分くべし。このころの花こそ、初心と申すところなるを、極めたる様に主の思いて、は
や申楽にそばみたる輪説とし、いたりたる風体をすること、あさましきことなり。たとひ、人もほめ、名人などに
勝つとも、これは、一旦めづらしき花なりと思ひさとりて、いよいよものまねをも直ぐにしさだめ、名を得たらん
人に、ことこまかに問ひて、稽古をいやましにすべし。
されば、時分の花を、真の花と知る心が、真実の花に、なほ遠ざかる心なり。ただ人ごとに、この時分の花にお
きて、やがて花の失するをも知らず。初心と申すは、このころのことなり。一公案して思ふべし。わが位のほどほ
どよくよく心得ぬれば、そのほどの花は、一期失せず。位より上の上手と思へば、もとありつる位の花も失するな
り。よくよく心得べし。
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