茶道と女性
江戸時代、女性が茶道(茶の湯)をすることはなかったという。明治に入ると文明開化の煽 りを食い、茶道は前時代の古い文化と見なされ、また茶道をたしなむ層は武士の一部と富裕な町人などに限られていたため、茶道の人気は没落の一途 をしばらくたどった。それが女子教育に茶道が取り入れられ、茶家にとって起死回生の順風が吹き始めた。『正座と日本人』では次のように述べている。
<<江戸時代には、女性が茶の湯をすることはほとんどなかったはずです。茶会は武将たちの面接の場であり、茶の湯は武将たちのたしなみとして発展しました。そこに女性の入り込む余地はありません。また、狭い茶室で師匠である男性と女性が一緒にお茶を飲むのも、ありえないことでした。
それを変えるきっかけの一つは、女子教育の中に茶道が取り入れられたことです。1875(明治8)年、跡見花渓 は跡見女学校を創設し、そこで茶道も教え始めました。当初、跡見女学校に集まった生徒は良家の子女が中心で、その後、跡見女学校は跡見女子大学などに発展していきます。
明治の半ば以降、跡見女学校に続くように、華族女学校(のちの女子学習院)や共立女子職業学校でも茶道が教えられるようになります。裏千家でも、明治の末頃には十四世淡々斎宋室が京都第一高等女学校へ指導に出向き、高等女学校茶儀科教員の資格が与えられるようになります。
こうして、いわゆる良家の女子を中心に、茶道は女性のあいだにも広まっていきました。その際、茶道は正座をして行われました。アグラや立て膝をして行われることはありませんでした。>>
現在、茶道をたしなむ人は、女性のほうが多いと思われる。しかし、室町時代の村田珠光 、千利休 から連なる茶道は、男性中心に伝えられ、明治になるまで女性には無縁であったとは驚きである。
[出典]
http://www7a.biglobe.ne.jp/~thaishun/zaturoku27.html
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