ある街の夏祭りに、流派の披露の機会を頂きました。先ずは主宰の基本の型です。必ず、大刀・脇差を手挟むのが基本です。 [知心流の沿革] 源流は遠く、貞和年間(1345年~1350年)新田武蔵守義宗公に始まり、以後会津の木崎氏、更に東播磨西山庄佐々倉左馬之介源清信に引き継がれた。 1600年初めの古文書に「心を知ること剣の法なり」ということばが見られるが、ここから「知心流」を流派名としたようである。 この間現代の13代宗家松平正親先生まで、一点一画を崩さず連綿として引き継がれている。流派の印可状は昔は墨書であったが、現在は殆どが印刷である。 知心流は未だ宗家の墨書、花押の見事な筆跡のものである。
主宰と宰嗣による袋竹刀による組太刀本来は素面、無籠手で木刀による自由稽古が普通である。会場の床がコンクリートであり、摺り足が出来ないためこの稽古になった。木刀は全身の寸止めで行うが、袋竹刀は面以外は寸止めをしない。演技後、主宰の腕には青あざが認められた。
宗嗣による知心流中伝の型。真剣の刃鳴りが会場の空気を裂く鎧着用を想定した型なので、腰の位置、重心は低い。
[出典]
http://blog.livedoor.jp/suzugatake/archives/954123.html
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