2014年11月28日金曜日
古武道の揺籃Ⅱ
知心流伝承道場知心五行派刀流の稽古始めが、今年も十日に野田市にある大野主宰の道場で行はれた。
一子相伝として伝えられてきた知心流も、大野主宰は来る者は拒まず、門戸を広げて活動している。
道場の階段脇には、見やすい高さで入門案内書が掲示してある。
主宰は教師剣道七段、知心流十三代宗家から流派の名乗りを許されている。宗嗣は剣道四段、宗家から知心流中伝の允許を受けている。
允許状は古来の形式に法り、和紙に墨書花押のものである。
宗嗣の修行は凄まじい。毎日の修練のほか、年に数回山篭りの荒行をする。寝袋と僅かな糧食を携行して山に入り、昼間僅かな仮眠をとり、夜を徹して暗夜に木剣を振る。
樫の木剣で生木が倒れるまで打ち込み修行を積む。
山を降りるときは体重は五、六キロも減量するそうであるが、全身将に鋼である。
赤城鈴ヶ岳山麓の鎌倉街道探索の折は、急斜面を登る我々の面前を息も切らさず往復して足腰を鍛えている。
知心流の稽古は全員脇差を手挟み、大刀を佩く。型の稽古は真剣で行う。
面切り、袈裟切りの刃鳴りは空を切り裂き、凄まじい刃鳴りが深閑の道場に響く。
日本刀の刃鳴りは、圧搾された空気が一気に両断されるときに鋭く短い刃音を残す。横一文字の円切りは、ビュウンと腹に応える。
切っ先が円形になっており、遠心力による刃の速さは目に残らない。
鍛錬された剛柔の流れるような重心の移動に聊かの無駄が無い。緩やかにも、中断を許さぬ鋭い動きに、気迫が充満している。
何時の間にか、見学している我々の五体が身動きを忘れるほどに、その迫力に制約されている。
納刀してから訪れる眼前の空気と五体の溶解、そして演技者の残心の手の内はまだ一部の隙も許さない。
流派の完成された技の極致である。
続いて稽古着に鉢巻の姿で、木剣による自由組立ち稽古に入る。勝負の寸前に手の内を絞り、寸止めを行う。これは高度の技である。
この稽古は高段者により行われる。
まともに打てば骨を絶つ稽古である。稽古とはいえ、一瞬の油断を許さない。
時には勢いで、木剣が肉に触れる。
空中で切り結ぶ樫の乾いた音が数合響き、瞬時に体が入れ替わる。
磨き込まれたあめ色の床を、能舞台を滑るような足捌きで木剣が唸る。無駄の無い俊敏の動きの中で、常に体勢、構えは全く崩れることは無い。
やがて、両剣士の額に汗が滲む。息を飲むほどに、じつに濃密な稽古が続く。
知心流は、遥か昔、流祖が完成した全ての型について、一点一画を揺るがすことなく、日々の練磨を重ねて現在に伝えている。
その奥義を極め、さらに自らの五体に刻まんとする信念と意思が道場に充溢し、観ている我々を圧倒するのである。
稽古が終わり、藤田東湖が愛した美禄の時間がきた。
道場の中央に置いた座卓を囲み、奥さん手作りの摘みで盃を挙げる。
君杯を挙げたまえ、今宵も美禄一壺の酒
日本酒のある風土、日本は有り難い国である。
[出典]
http://blog.livedoor.jp/suzugatake/tag/古武道の揺籃Ⅱ
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿