月舟庵
もののふを訪ねます。
2014年9月19日金曜日
利休七哲
(りきゅうしちてつ)は、
千利休
の高弟7人を指す呼称。利休の曾孫にあたる
表千家
の
江岑宗左
(逢源斎)の記した『江岑夏書』(こうしんげがき)の中で挙げられている。
その後、様々な茶書などで構成が微妙に変わり
[1]
、
織田長益
(有楽斎)、
千道安
(利休の実子)、
荒木村重
(道薫)を加えて「
十哲
(じってつ)」と呼称される場合もある。また、千道安を除いて
前田利長
が入る、
有馬豊氏
や
金森長近
を加えるなど諸説あるが、いずれも後世呼称されたもので、当時からそのように呼ばれていたわけではない。
七哲
蒲生氏郷
、筆頭
細川忠興
(三斎)
古田重然
(織部)
芝山宗綱
(監物)
瀬田正忠
(掃部)
高山長房
(右近/南坊)
牧村利貞
(兵部)
利休門三人衆
利休七哲に加えて利休門三人衆といい、利休門下の
武将
のなかで、特に優れていたといわれる、蒲生氏郷、芝山宗綱(監物)、細川忠興の3人の武将がいる。 また、彼らは利休七哲にも加わっている。利休七哲と同じで、後世に呼称されたもの。
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