2015年1月28日水曜日

久司 道夫

久司 道夫(くし みちお、1926年 - )は、アメリカ合衆国ボストンを拠点に自然食のマクロビオティックの研究、発展、普及に努めている。クシインスティチュートインターナショナル代表、久司財団会長、イーストウエスト財団会長、社団法人日本緑十字社社長。和歌山県新宮市出身。

概要

東京大学法学部政治学科卒業。同大学院国際政治学修了。
食養研究家・思想家の桜沢如一に師事したのち1949年11月にアメリカ合衆国へ渡り、コロンビア大学大学院政治学部に入学。アメリカ国内を起点としてヨーロッパ、日本などでも普及活動を行う。
1949年ごろから、道夫は食事をマクロビオティックの方向へ改めていく[1]
1951年アレクシス・カレルの『人間-この未知なるもの』を読み、人類の問題は食物と環境から起こることを再確認し、マクロビオティックの考え方に完全に呑みこまれたと述べている[2]
1960年代に、高島屋がアメリカに進出したが、道夫はレナウン創立者のすすめで副社長となって開店を手伝った[3]
1966年ボストンに自然食品店エレホンを開店させるにあたって、訳語として natural food erewhon と看板に掲げ、そして natural foods という単語が世界中に広まっていった[4]。自然食品店エレホンでは、有機農業を支援しながら有機食品を販売し、豆腐や味噌をはじめとしたあらゆる日本の伝統食品も販売していった[5]
1969年、自然食品店エレホンの支店をロサンゼルスに開く[6]
1976年ジョン・レノンが道夫に会いに来る[7]。(ジョン・レノンとオノ・ヨーコは、1980年のPLAYBOYのインタビューで、食事はほとんどマクロビオティックだと応え[8]、マクロビオティックの料理番組に出演したこともあった[9]。)
1988年世界保健機関の大会で「マクロビオティックによるエイズ治療」という講演を行った[10]
コンビニエンスストアローソンの幹部がローソンを変えようとしたとき、幹部に健康指導をしたことがきっかけとなってローソンを変えるための指導をすることになり、これがナチュラルローソンにつながっていった[11]
1994年 「世界の平和と人類の健康に貢献した」として、国連著作家協会優秀賞を受賞 [12]
1999年アメリカで活動が認められ、米国国立歴史博物館「スミソニアン」に、久司道夫のマクロビオティックの代表的な出版物や資料がクシファミリーコレクションとして永久保存され、展示される [13]
1999年 米国国家下院にて、久司道夫の業績を公認する決議が行われる 。[14]
長年マクロビオティックを実践していた夫人は癌によって死亡したが、がんを発見したとき、当初は余命3か月と診断されたが久司道夫のアドバイスにのっとった食事をはじめ、そのため[要出典]8年を生き延びた。
久司道夫本人も2004年に結腸癌を発症し手術を受けている[15] 。しかし、久司道夫本人は高齢になっても世界各地を飛行機で移動し、一年の大半をホテルで暮らし、外食がほとんどで、マクロビオティックを実践できていない。留守を守っていた夫人も、日夜を問わず訪れる重病患者の相手に追われるなど大変多忙な暮らしであったという[要出典]
2007年 米国国会下院にて、久司道夫の生誕80年を記念して、業績の顕彰決議が行われる。[16]


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